こんにちはHaru(@yurupura_haru)です。
私が育休中にブログを始めた本当の理由について正直な気持ちを書いてみたいと思います。
自分をさらけ出すことを怖がっていたら前に進めないと気が付きました。
少し長くなりますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです!
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育休をきっかけに人生を振り返ってみた
子供が生まれるまでは自由に生きてきた
自分の人生を振り返ってみました。自由奔放で波乱万丈ちょっと癖が強め。
18歳:高校卒業後、当時大人気のアルバローザの店員として横浜丸井で働く(面接で5/600人に選ばれた)
19歳:とつぜん夜の世界(キャバクラ)に目覚め初月からNO.2になる(危うくチーママになるところだった)
20歳:夜の世界から脱出するべく、誘われたまま訪販の営業に。最年少で売上を叩き表彰される。最高月収7桁時代
21歳:母の末期癌が判明、1年の余命宣告を受けて介護生活が始まる。
23歳:最愛の母が亡くなる。うつ病になるまで落ち込み無職のプー太郎時代を2年間過ごしス〇ットにハマり貯金が全部無くなる(本当のカス時代)
25歳:アルバイトから入社した中古ブランド買取販売店で正社員に。
26歳:マネージャーに昇進し更にリサイクル業界の魅力にハマる。
28歳:ヘッドハンティングされ転職するも、スーパーBK企業でオレオレクレクレの電話営業に2ヶ月耐えるが限界を感じて退社(その後その会社は潰れた)
29歳:業界NO,1大手買取店に入社。本部スタッフとして勤務(現在6年目)
30歳:主人と結婚
32歳:妊娠
33歳:2,314gで息子を無痛分娩40分で出産!
35歳:現在育休延長中~2018年5月27日当ブログ開設!
”やってみたいことはとりあえずやってみる”好奇心が強いタイプ。熱しやすく冷めやすくて直ぐに飽きる性格だからひとつの仕事が長続きしない。
典型的B型ならではの気分屋で、自己中心的な性格でした。とにかく何もかもが中途半端だった気がします。
しかし、最愛の母が亡くなったことで価値観が変わってゆきました。
人生は時間が限られている
幼いころから母子家庭で母と、姉と、私は3人で過ごしてきました。
女手一つで育ててくれたたくましい母。私の最大の理解者である母が末期がんと知ったときは兎に角とても悲しかった。
そこから始まった介護生活。迷うことなく直ぐに仕事を辞め、全ての時間を母に捧げた時間は今でも私の宝物です。
1年の余命宣告でしたが、母は1年4か月頑張って生きてくれました。
母が亡くなって学んだこと
”人生には時間が限られている”ということ。家族を大切にすること。その家族のために、最後の日まで全力で生きなくてはいけない。こと。
人は1人では絶対に生きてゆけない。母がいたから自分がいる。改めて気が付かされてからの全力の恩返しはたった1年4か月で終わってしまった。
母の末期がんが判明する1か月前に母と2人でオーストラリアのケアンズに旅行に行った。大人になってから初めての2人旅。
行きの空港からビール飲んで、ホテルついてもビール飲んで、クラブに一緒に行ったりもしたw
ヘビースモーカーで、ビールが大好きだった母。グリーン島のプールで浮き輪に浮かびながら『ここは極楽じゃあ~』と笑っていた顔が忘れられない。
せめてもう少しだけ、親孝行させて欲しかった。母が亡くなった日の夕焼けの色を忘れる事は絶対に無い。
それから数年後に、今の主人と出会い3ヶ月で同棲、4年目で結婚し、妊娠。出産。子供は可愛いし、育児は本当に楽しい♪
けれど『母が居てくれたらなぁ』とふとした時に思う事は正直多いです。
それでも悲観的にならずに、母の様にたくましい母親を目指して頑張っています!
母が私を全力の愛で育ててくれたように、私も息子を全力で愛し毎日を楽しんでいます♪
育休のおかげで主婦としてレベルアップできた
育休をきっかけに、久しぶりに『働くこと』から解き放たれた私は、育児、家事にどっぷりと専念しました。
初めての出産、子育てに毎日奮闘し、不安と『?』だらけの1年があっという間に過ぎてゆきました。出産から3か月ほど経ち少し余裕が出来てくると、
お弁当のおかずを1品増やしたり、煮干しから出汁を取ってみたり、コロッケを揚げて、週末にはパンを焼いてみたりと、憧れていた専業主婦のような生活が手に入った事に幸せを感じる様になっていました。
生活をもう少し心地良くしたい、料理を、収納を、暮らしをワンランクアップさせたい思いが徐々に強くなってゆき、試行錯誤を繰り返し少しずつ実践してゆきました。
そういっても過言ではありません。しかし、その思いと裏腹に不安も増えてゆきました。
育休終了が近づいて来ると焦りを感じはじめた
毎日が何となく過ぎて行くことに不安になった
息子が9ヶ月を過ぎた辺りから保育園の見学に行き、入園の申請手続きを踏んでいくと更に不安は増してゆきました。
育休を経て、料理のレベルアップや収納の見直しも出来て復職後も生活はしやすくなったけれど、育休が終われば今よりも忙しい生活が待っている。
育休は国から認められた『育児のために休んでもいい一定の期間』だとわかっていても、”このままでいいのか?本当に育児に専念するだけで毎日がふわふわと過ぎて行って良いのか?
毎日悶々とする日が続きました。
わたしの会社はワーママに理解無し
復職後の勤務体系について上司と面談を何度も重ねましたが『時短で働ける部署は無い』『転職を考えれば?』『給付金泥棒』まで散々嫌味を言われ、部署移動の希望も通りませんでした。
産前はマタハラによるストレスが原因で、ストレス性の急性胃腸炎、最終的には切迫早産で長期入院になりました。
部署は営業、ワンマンパワハラ上司の影響で常に人事不足のために歩合だけはめちゃくちゃ高い。
年収600万弱で4年間勤め、貯金は大台に乗りました。自分の名義だけでマンションを買ったのは勤務して2年目。それでもローンが通った位頑張った。
それでも、私の会社はワーママに対しての理解が無さすぎる事を再確認し、いつしか『復職したくない』と思う様になっていました。
今後の人生をどうしてゆきたいか本気で考えてみた
息子の事を中心に過ごしてきた1年。こんなに幸せで心穏やかな生活がわたしにも送れる事に本当の幸せを感じることが出来ました。
初めての寝返り、つかまり立ち、最初の一歩。息子の成長の瞬間を見逃したくないと強く思うようになってゆき、私の想いは決まってました。
幸せになるためには『お金・時間・心の余裕』が必要
わたしが思う幸せの3つの条件
- お金
- 時間
- 心の余裕
どれかが1つ欠けてもストレスを感じます。『育休前、育休中の今、復職後』の私の生活イメージはこんな感じです※あくまでも私の場合です
育休前 | 育休中 | 復職後 | |
お金 | ◎ | × | △ |
時間 | △ | 〇 | × |
心の余裕 | × | 〇 | × |
育休前:お金とある程度の自由な時間はあっても仕事や家事がストレスで心の余裕が全く無かった。
育休中:仕事をしていないため育児もあるが時間もある。心の余裕が持てるようになったけれどお金が無い(給付金は少ない)
復職後:時短勤務で多少の収入は得れるが、ほとんどが保育費用に消える。送り迎え、家事に追われて時間は全くなくなる。結果、心の余裕もなくなる(はず)
私の場合は特にストレスを感じやすい性格なので、復職後、顕著に不満が現れることが簡単に想像出来てしまったのです。
そこで転職サイトに登録したり、自宅で出来る仕事を探したりもしましたが、大学も出ていない・資格も持ってない・子供がいる・35歳を過ぎている=簡単に転職は出来ない。
もう独身時代の様に簡単に仕事を変える事も出来ません。
次にやる仕事は、無理なく長く続けられて、本当に好きな事、収入が安定する仕事がしたかった。
そこで思いついたのが『ブログ』でした。
幸せの条件を全て満たしてくれるのはブログしかない
私が思うブログの魅力は先ほど挙げた3つの条件
- お金
- 時間
- 心の余裕
この3つは、ブログが成功すれば全て手に入ります。
しかも、お金(収入)は一時的では無くブログをやり続ける限り(そして辞めたとしても)入り続ける=権利収入が生まれます。
時間はブログを書く時間さえ確保出来れば、それ以外は子供と一緒に過ごせる時間に使えます。
ブログから収入を得ることが出来る生活になれば、自然と心の余裕も生まれる事が簡単に想像が出来てしまったのです。
ここまでの考えにたどり着くまでは、とても安易で単純でした。私はネットで情報を拾い、ドメインを買って、ワードプレスを使い、何とかブログを開設して記事を書き始めました。
しかし本当に大変なのはここからでした。
実践してみたい【育休中×ブログ=飯は食えるのか?】
ブログそんなに甘いものではない
訂正します。『ブログで収入を得ることはそんなに甘いものではない』が正解です。趣味のブログや、個人の日記を、自己満足で書くことは簡単に誰でも出来ます。
収入を得れるブログを書くのはとても大変だ。という事をかなり早い段階で知ることになります。
そもそも、収入の前にPV(閲覧数)が増えるというより貰えません。ちなみにこのブログの最初のプロフィールの記事は
初日の閲覧数は10(そのうち自分で確認が2)w
まずは閲覧数が増えないと、収入につながりません。
そしてブログを立ち上げてからはブログを書くことが大変になります。1つブログを書けても、その後のネタ探しも大変です。
しかしあきらめたくない。私はブログだけは絶対に続けてゆくことに決めました。
何もかも中途半端だった自分を変えたい
インスタも、Facebookも続かなかった私。何もかもが中途半端だった自分をブログを通して変えてゆきたい。強めにいうなら『ブログで自分の人生を変えたい』
ブログは自分+PC+時間があれば出来る。全ては自分の努力次第。
母が良く使ってた言葉『やってやれないことはない』と強く思って生きてきました。
成功するまでブログを続けることだけは『やってやれないことはない』
人生には時間が限られている。家族を大切にすること。
その家族のために、最後の日まで全力で生きなくてはいけない。もう私には家族がいる。
自分の為だけでは中途半端にしか頑張れなかった。しかし、家族のためなら頑張ろうと思えた。
おわりに
家族が私がブログを始めた理由であり、家族と幸せになりたいという気持ちが私がブログを頑張るという原動力になっています。
決意して始めたブログ。決めたからにはとことん頑張ってゆきますので、何卒応援よろしくお願いします!
ブログ初心者ですが、どんどんブロガーさんと繋がって行きたいです!ブログを機にtwitter(@yurupura_haru)も始めました!よろしくお願いします!