こんにちはHaru(@yurupura_haru)です。
先日、息子がものもらいになって眼科に行きました。
眼科の待合室の本棚で見つけて思わず手に取った絵本。
小さい頃に読んだきりで、大人になってから久しぶりに読んだ結果、心が揺さぶられる思いになりました。
その本は有名な絵本『100万回生きたねこ』です。
この本は、子供の頃に読んだきりご無沙汰な人に、今ぜひ一度読み返してもらいたい”大人の絵本”です。
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100万回生きたねこのあらすじ
この物語は、とても有名で、映画化や舞台化もされています。
あらすじは、主人公ののらねこが100万回生きては生まれ変わるを繰り返す一生を描いた本です。
100万回も死んで、100万回も生きたねこがいました。
王様、船乗り、手品使い、どろぼう、おばあさん、女の子・・・
100万人の人がそのねこをかわいがり、100万人の人がそのねこが死んだときに泣きました。
あるときねこは誰のねこでもない、のらねこになりました。
自分が大好きなねこは、めすねこたちにちやほやされて有頂天になりますが、
一匹の白く美しいねこに魅せられます。
やがて子どもが生まれ、自分よりも大切な家族を持つことに。そして・・・。
100万回死んでも悲しくなかったねこは、はじめて愛することを知り、愛する者を失って涙を流すのです。
引用:https://www.ehonnavi.net/ehon/94/100%E4%B8%87%E5%9B%9E%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%AD%E3%81%93/
主人公ののらねこは、どんな飼い主のことも好きではなく、むしろ嫌いでした。
可愛がられても、どれだけ大切にされても、決してのらねこは飼い主のことを好きになることは有りませんでした。
そして、不慮の事故(海に落ちたり、紐で首が締まったり)が起こるたびに『死んで』は生き返る。それを100万回繰り返して生きていました。
それを強さに、たくましいのらねこはとてもモテる猫になっていきます。そして、ある時1匹の白い猫に出会うのです。
白い猫は、何も言わずいつものらねこの側に寄り添いのらねこの言うことに頷いていました。のらねこも白い猫の前では『俺は100万回も生きて、死んでいる』という自慢をすることは有りませんでした。
白い猫は、のらねこがどうやって生きて来たかはどうでも良いことだったのです。
白い猫は、のらねこと一緒に暮らし子供をたくさん産んで、のらねこと一緒に年をとっていきました。
のらねこは、白い猫に出会って一緒に過ごすことで『本当の幸せ』を手に入れることが出来たのです。
しかし、年をとり白い猫は具合が悪くなり、そして動かなくなってしまいました。
動かなくなった白い猫を抱いて、のらねこは生まれて初めて大声をあげて泣き、動かなくなった白い猫の隣で同じように動かなくなりました。
100万回生きたねこはずるい
この本は、小さい頃に我が家にあった絵本でした。母が好きだった絵本のようで、実家を無くした時に絵本は姉が引き取って今でも持っています。
小さな頃にこの本を読んだときは、難しすぎて正直よくわからない本だと記憶しています。
私が100万回生きたねこを久しぶりに読んでまず思ったのは、のらねこはとてもずるいということです。
人間は誰しも誰かに恋をして、愛を知り成長していきます。
しかし、人生は1度きりです。果たして今一緒に生活しているパートナーが運命の人かどうかということは最後までわかることは有りません。
のらねこは、白い猫が死ぬことによって泣くという感情が生まれ、悲しみを知り、そして死ぬということを知ることが出来ました。
反対に言えば、白い猫に出会うまで100万回も生きて、死んで来たのです。
うーん。ずるい。
でも、だからと言って今神様が現れて『本当に運命の人に出会うまでに100万回生きて死ねることもできるけど、どーする?今からそうする?』と言われても
それも、嫌だな。と思いますけどね。
100万回生きたねこは愛を求めて彷徨うタイムトラベラーだったのかもしれない
100万回生きて死んでを繰り返しているのらねこですが、絵本の中には『ねこが生き返った描写』が出て来ません。
不慮の事故で死んでしまった後、飼い主達はみんな泣いて、悲しみ、猫を埋めます。
その次は、のらねこが次の飼い主と嫌々生活をしているシーンに切り替わるのです。
果たして、のらねこは毎回本当に死んでいたのでしょうか?
のらねこは、飼い主が嫌いで、常に不満を抱えて生きていました。愛を知らなかったのらねこは、愛する人を探して生きていた訳でも有りません。
しかし、飼い主と共に生きて行きたかった訳でもなさそうでした。
のらねこは、惰性で生きていたんですね。なんとなく、毎日を過ごして生きていた。
そこに不慮の事故が起きて、死んでしまう。それがトリガー(きっかけ)になっては次の世界へワープしていたのかもしれません。
なぜなら、のらねこには過去の飼い主の記憶がずっと残り続けています。
そして、過去の飼い主のことはやっぱり愛していませんでした。
白猫に出会うまで愛を知らなかったのらねこですが、実は愛を求めて彷徨い続けていたタイムトラベラーだったのかもしれませんね。
自分が本当に体験しない限りは、物事を認識することは出来ないのかもしれない
のらねこは、自分が100万回死んで、生きていることを周囲に自慢をし、モテるねこになっていきました。
本当の死を知らず、死ぬことを恐れず、死んでも生き返ることをわかっていたから『一度死んでしまったら本当は生き返ることが出来ないこと』を知らないまま生きていたのです。
そして、愛すべき運命の白い猫と出会い、白い猫が死んでしまったことを目の当たりにして生まれて初めて自分も『死ぬ』ことが出来ました。
のらねこは、本当の死を知らぬまま100万回生きました。しかし隣で白い猫が死んでしまったことを体験して生まれて初めて『本当に死ぬ』ことが出来たのです。
何となくわかっていることであっても、自分が本当に体験しないことには物事を『本当に認識』することは出来ないのかもしれません。
のらねこは、白い猫に出会って初めて愛することを知った。
のらねこは、白い猫が死んだことで『命には期限があること』を知った。
のらねこは、白い猫が死んだことで『愛する人が死ぬ悲しみ』を知った。
嬉しさも、悲しみも、本当に体験しない限り本当に認識することは出来ないのだと思いました。
本当の愛や幸せは、愛する人を見送ることかもしれない
のらねこは、100万回生きて死んだ結果、本当の愛する白い猫に出会って愛する猫を見送る(看取る)ことが出来ました。
私にはとても理想的なことだと思いました。私は、今までに愛すべき母や、大好きだったお義母さんを見送って来ました。
たまに思います。反対の立場だったらどうだっただろうか。と。
愛する人を見送るのではなく、愛する人に見送られるのはどうなんだろうか。と。
愛する人が先に旅立ってしまうことはとてつもなく悲しく、寂しく、それこそのらねこの様に大声を出して嗚咽して悲しみを味わうことになります。
私も母が亡くなってから、立ち直るまでにはだいぶ時間がかかりました。
そこから考えると、のらねこの様に愛する人を見送れることは本当はとても幸せなことだと今では思えます。
愛する人より先に死んでしまえば、愛する人に悲しみを与えてしまいます。
愛する人を悲しませないためには、愛する人を先に見送るしか方法はありません。
やっぱり、本当の愛や幸せは、愛する人を見送ることなのかもしれません。
100万回生きたねこを読んで、まとめ
私は、100万回生きたねこのラストシーンをハッピーエンドだと思っています。
のらねこは本当に愛する猫に出逢うために生まれ、死んで、生きて、死んだのです。
この物語は、人間の愛の理想の形であり、人間が求める真実の愛の形だと思います。
気がついたら大人になって、愛する人が増えていきます。増える分、同じように悲しいですが愛する人を見送ることも増えます。
あなたは愛する人に見送られたいですか?愛する人を見送りたいですか?
大人になった今改めて、この絵本を読み返し『愛』について考えてみてはいかがでしょうか。
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